毒親を克服して幸せになる方法について

  • 2018年5月26日
  • 2018年5月27日
  • 悩み
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今回は「毒親」についてです。「毒親」という単語は昨今耳にするようになってきましたよね。

そもそも毒親とは「子供に対するネガティブな行動パターンを執拗に繰り返し、それによって子どもの人生を支配するようになってしまう」親のことを言います。毒親と一言で言っても捉え方によっては様々なパターンや特徴があるんですよね。

明らかな虐待やネグレクト(育児放棄のこと)やアルコール依存症の親に育てられたなど明らかな毒親のパターンもあれば、世間的には「子供思いの良い親」と言われることもある教育熱心な親、一見仲良し親子などに見えがちな過干渉タイプなどの毒親のパターンまで幅広いです。

自分の親を毒親だと疑うことのできる子供は少ないでしょう。なぜなら子供の頃というのは、自分の家庭が他人の家庭と違うものだと気づく機会がないからです。どんなに傷けられても子は親を慕い認められ愛されるよう努力します。ですがその努力が報われないことは大人になった皆さんなら容易に分かるかもしれません。

私が毒親について筆をとることにしたのは、私自身が自分の親が毒親であることに気づけた体験を、今『もしかしたらうちの親は毒親かもしれない』と感じはじめた方が読んでくれるかもしれないと思ったからです。そこで自身の経験をもとに毒親の呪縛から解き放たれる方法について書いてみたいと思います。

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生い立ちについて

私の母親は典型的な隠れ毒親タイプでした。主婦で、子供=自分のステータスだと思っているタイプです。

私の生い立ちはというと、都心部のいわゆる中流家庭に育ちました。6人家族で、兄弟は3個離れた姉が1人いました。

女家系だったことから、跡継ぎの男の子を望まれている中で産まれた2人目の女の子、また身体も病弱だったことから病院通いが頻繁でした。母はそのときの育児の大変さからノイローゼになったとことあるごとに私に言う人でした。

もちろん私も自分自身が母親となり、育児の大変さは痛い程よくわかるのですが、幼い私にとって、直接言われることはとても傷つくものでした。ましてや男の子ではなかったという親の期待に答えられなかったことに対して(もちろん無理なのですが)そもそも産まれてきたことで迷惑をかけているのだという思いから、せめて優等生でいることを選んだのです。この頃から親に嫌われない行動をとるようになっていました。

世がお受験ブームの頃の話です。おとなしく消極的だった私は小学校受験におちます。姉は国立の附属小学校、私はかたや公立ということもあり、親の期待にまたもや答えられないという状況になり、さらに自己肯定感はMAX低くなるのです。その後なんとか中学校受験には受かるのですが、自分で選んだ学校ではないので、なんのために受験したのか、私にとってはどうでもいいことでした。

高校に入り、親が私を薬剤師にしたかったため理数系を専攻しますが、文系の私が理系の勉強についていけるはずもなく、またもや落ちこぼれてしまいます。薬剤師にはなりませんでしたが、その後塾の先生のすすめもあって自分の学力でも行ける理系の専門学校に進みました。今では親の望む薬剤師にならなかったことだけが救いです。

就職して半年、一人暮らしをすることになり、やっと親と距離おくことができました。すると親という存在を客観的にみれるようにいなってきたのがこのころです。しかしまだ呪縛は解けていません。

就職した後にできた彼氏はDV傾向のあるモラハラ男でした。私への束縛が強く、NOと言えない私はその彼氏と結婚することになりました。しかししばらくして別居して離婚。幸い再婚ができたため子供にも恵まれました。

妊娠してから気づいたこと

自分の子供を妊娠したとき、はじめて親を「毒親」と認識させる出来事がありました。それは私の妊娠を報告したときに「おめでとう」の一言もなかったことです。そして後日「男の子だといいわね」という強烈な一言でした。

私は元気に産まれてきてくれればどちらでも良かったのですが、どちらにしろそんな身勝手な願望まで私の子供に押し付けてきた出来事が「毒親」として認識できた瞬間でした。

そんなわけで里帰りもせずに産んだのですが、産まれたら産まれたで、「きっとおぼっちゃまに育つわ、学習院にでも入れるわね」と叶えられなかった母の夢をさらに押し付けてきます。我が子に私と同じ思いはさせたくない、そう思って自ら実家との距離を置く決意をしたのです。

しかし、そう簡単に実家との縁を切ることもできず、子供のためにも祖父母がいたほうがいいに違いないと信じてそれなりのお付き合いはありました。いわゆる初孫フィーバーだったので、私も親孝行になればと週1回くらい遊びに来るのは受け入れていましたが、慣れてくるといつの間にか「来てあげている」というふうにどこからか変わってしまったのです。そして姉に「(次女の私のところに)お世話しに行くのが大変」と愚痴を言ったのでしょう。姉から「親に世話を頼むなんて何事だ」という内容のメールが来たのです。

このときに怒りがこみあげてきました。私も大人になったし、なるべくいい関係をキープして距離を保てば実家とも付き合えると思っていたけれど、このままでは子供にまで悪影響があると判断し絶縁という選択をしたのです。

その後のこと

それから父親から年に1回くらいはメールがあるものの、二度と私に連絡が来ることはありません。親と絶縁できたのは、私の場合は皮肉にも自分の子供がきっかけでした。子供を守る母性が、毒親の呪縛を解いたといっても過言ではありません。30歳にしてはじめて心穏やかに過ごすことができています。

まとめ

いかがでしたか?可能な限り毒親と物理的な距離を取ることで親を客観視できるようになったときが、毒親を克服するきっかけになります。実家の顔色をうかがう必要がなくなる、社会人も一つの節目になるでしょう。親は先に死にますが、多くの時間を振り回されっぱなし過ごすのはあまりにももったいないですよね。私の尊敬する心屋仁之助さんも言っていた魔法の言葉「親を嫌いになってもいい」を大きな声でたくさん唱えてみて下さい。きっとすっきりするはずです。

自分の人生を楽しみましょう!

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