こんにちは、マメです。『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を見てきました。
池袋のTOHO シネマズで見てきましたが、満員御礼の大人気。とても感動したので、勝手ながら考察させていただきます。
ネタバレを含みますのでご注意ください。
東野圭吾との共通点
ほぼ東野圭吾という前評判を聞いて見てきました。
確かに、あぁ、だから東野圭吾って言っていたのかと納得です。
殺人や犯罪が起きた時に「なぜこの人はこんなことをしたのか?」という人物への深掘り、善悪を単純に分けず徐々に登場人物への見方が変わる作り込み、自分にも起こり得ると思わせる身近な心理描写、貧困や冤罪といった社会テーマが背景にあったり、完全なハッピーエンドでないところにも共通点があるように感じます。
これだけ聞くとアニメを見てきた感が全然ないですよね。
「炭酸」のくだりや「分かった分かった」の伏線はもうすでにみんなが知っているところでしょう。
ところどころに散りばめた伏線を見事に回収していますね。
島民という無力な存在
もともとのちいかわ作品は、労働階級の貧困から抜け出せない自分に重ね合わせてしまうことがあったのですが、今回は人魚の島での島民という無力な存在にもシンパシーを感じてしまいました。
顔の描かれない大衆、誰かに責任だけを押し付ける他力本願な自分。自分のせいで誰かが犠牲になっているのは分かっていても言い出せない苦しみ。
誰にでも経験があるのではないでしょうか。
そしてちいかわが最後にヒトハとフタバが犯人だと追求できなかった場面では、ちいかわの弱さなのか優しさなのか分からない態度に、モヤっとした方も多いと思います。
じゃあ自分ならどうしたのか。そんな問いを投げかけられているようにも感じました。
私もどちらかというとちいかわと一緒で事勿れ主義なのかもしれないと気付かされました。一方で、本人達に悪意がなかったとしても、他の誰かを危険に晒してしまったことに対する償いの機会を与えることも優しさだった可能性もあります。
あの場面でうさぎがちいかわの頭を撫でているのですが、もし全てを察しているのだとすれば、うさぎはとんでもない切れ者の可能性がありますね。
人魚の肉は延命
勝手に深掘りというところで、人魚の肉を食べさせたシーンについて書いていきます。
ヒトハとフタバが人魚を食べた原因は、元はと言えば釣りをしていた時にセイレーンたちにぶつかられて瀕死になったフタバを救うためでした。はなから永遠の命を得ようという欲からではないけれど、フタバを生きながらえさせる方法として、人魚をとらえ、勝手に食べさせるという決断をしたヒトハ。
これは延命措置を本人の意思に反して家族が強行したという状況と変わりありません。
結果的に勝手に永遠の命を与えられてしまったフタバは、最後に1人きりになることに耐えられずヒトハにも食べさせます。
一応ヒトハは自分の意思で食べました。
フタバはそもそも延命措置をして欲しかったのでしょうか。
また、ヒトハ自身が食べたその意思は自分のエゴに対するせめてもの償いだったのでしょうか。
そして、乾電池が抜けた状態でも仮に意識があるとするならば、身体が不自由なまま生きながらえる苦痛を伴いますし、乾電池が抜けて意識がないとしたら脳死の状態と仮定することもできます。
まさか延命についてちいかわで考えさせられるとは。いずれACP(人生会議)の教材にも出てきそうですね。
セイレーンと島民の関係性
セイレーンと人魚は、元々島にはいなかったといいます。勝手にたどり着いて、島に恵みをもたらす一方で、過度な要求をするようになって私腹を肥やすようになります。
島民は恩恵に預かっている手前、それに対して何も言えません。
あれ、なんかすごい政治色強くないですかね。
政治色があるかどうかはわかりませんが、ある種のメタファーのような気もしてきます。
島二郎というキャラクター
一方、作中では島二郎というキャラクターが活躍するのですが、この島二郎は島の貝をとって貝汁とカレーを提供する店を経営しています。ただ、お客はほとんどいないらしいのです。
作中の島二郎は見返りを求めず、ちいかわたちを無償で助けます。戦闘能力が高く、セイレーンと対等に渡り合える実力の持ち主です。
こんな強くていい人がなぜ今まで島民たちに受け入れられていなかったのでしょうか。
孤独な環境で海に潜って生計を立てているため、セイレーンの存在は知っていたものの、島民とセイレーンのトラブルを知らなかったというのは本当かもしれせん。
まずは困っている人を助け、どうにかセイレーンの怒りを鎮められないだろうかと協力を申し出るバランスの良いタイプです。
一方で、島二郎の鳥は、島民になつき、チラシを配るという大切な役割を果たしていたことがわかります。
日本神話において、鳥は神の使いとして大切に扱われてきました。
島二郎とセイレーンの存在によって、ある種の神話のような印象も与えます。
楽曲の怖さ
劇中で何度も歌われる「今日の日はさようなら」ですが、日本では林間学校やキャンプファイヤーの定番曲です。
島に平和が戻り、視聴者にとっては全ての真実が明らかになった後の、「いつまでも絶えることなく友達でいよう」という歌詞が重すぎてちょっと辛くなります。
ヒトハとフタバは、文字通り切っても切れない永遠の関係に。
「今日の日はさようなら」という曲は、エヴァンゲリオンの中でもトラウマ的楽曲。参号機の起動実験にアスカが搭乗し、その参号機が使徒により浸食され、初号機で迎撃したシンジは戦闘を拒否。ダミープラグに切り替えられ、初号機は参号機をズタズタにする残虐場面。この楽曲もオマージュなのでしょうか。
だとしたら選曲がすごいですね。
人知れず逃げたヒトハとフタバの行方
映画の最後には、2人は人知れず離島に脱出し、洞穴を新しい拠点に生活を始めようとしている様子が描かれています。そして、その後をひっそりと追う様子のセイレーン達。
もちろん許してはいなかったというわけです。
原作コミックス第8巻には、「檻らしきものに入った2人と泡の絵」が添えられています。
この描写から、セイレーンの言う「暗いとこ」とは、深海に沈められたと思われます。
永遠の命を狭い檻の中で過ごすことになるとしたらめちゃめちゃ怖いですね。
まとめ
ほのぼのしたストーリーから始まり、観終わった後には、延命や罪、責任、同調圧力、善悪、そして「生きること」についてまで考えさせられているちいかわの劇場版。
ちいかわに興味がなかった層でも見に行く価値のある作品です。
興味を持たれた方はぜひ足を運んでみてくださいね。